お義母さんのアトピーに関する知識は、いわゆる一般のソレとかわらない。まさかアトピーが原因で、日常生活ができなくなるとか社会生活ができなくなるとか、そういうことはまったく思っていなかったらしい。
なので、電話で晋ちゃんが話していてもいまいちピンとこず、私と電話を代わって初めて何か大変なことが起こっているのだと理解したと、後に語ってくれた。
そのときの私は、体が震え、声が震え、喋ろうとしても言葉にならない。そんな声で、ひたすら「すみません」「ごめんなさい」と泣きながら繰り返していた。
すぐにお義父さんがチケットを手配し、電話をした翌々日にお義母さんが大阪に来てくれることとなった。
私の実家にも連絡を入れると、お義母さんがくるまででもと、妹(チー)が仕事を休み、急遽駆けつけてくれた。
チーにはトラウマがあるのだと言う。本人が言うのだからそうなのだろう。私が小さい頃から体が弱かったため(気だけは強かったが)、周りの目が事ある毎に私に向く。なので、すこぶる元気印のチーは、どうしても後回しになることが多く。なんでお姉ちゃんばっかり・・・・と、チーはちょっと寂しかったのだそうだ。
もちろん、親は平等に接していて、分け隔てしたつもりはない。ハンディキャップのある分、ちょっとした配慮をしてあげることが贔屓にはならない、それを不平等というならそれは平等の履き違えだというのが親の理論だ。
しかし、幼かったチーには理解できるはずもなく・・・。まだ子どもな中学を卒業した年に母親を亡くし、それからすぐ、私のアトピーが激悪化(ステロイドのリバウンドによる)した。そのため、周りが必死で私の状況をなんとかしようと躍起になっている中でも、チーは一人、我関せずの態度をとっていた。
どんなに私が発狂しそうに泣き叫ぼうと、それはチーにとっては耳障りでしかなく、アトピーである私がイラツキの原因になっていたようだ。
時が経ち、チーもいつしか大人になっていて、自分の葛藤と向き合い、お互いの状況や立場をある程度慮れる歳となっていたことを、今回あらためて気付かされた。
チーはどちらかというと家事炊事が得意とは言い難いところがある。けれど、チーはチーなりに、一生懸命看病してくれているのがわかった。あのチーが私のために何かをしてくれるという状況が、なんとも奇妙で変な感覚だったが。
嬉しかった。
「姉妹じゃなかったら、絶対お姉ちゃんとなんか一緒にならん!」
かつてチーが言い放った台詞を思い出し、ちょっと笑った。
そうだねぇ、私達は性格から考え方・好み、何から何まで正反対の姉妹だもんね。
でも、チーが妹でほんとに良かったと思ったよ。
酷い姿の私を見ても、チーは全く表情を変えなかった。お得意の自虐ネタ(チーの自虐ネタは、そこらのお笑いネタより断然おもしろい)や家族の話などで明るく振舞ってくれていた。でも父親への報告では、「お父さん来んでよかったよ。お父さん、きっとお姉ちゃんを正視しきらん。泣くと思う。」と言っていたそうだ。そんな気遣いまでみせるようになったチーが頼もしく感じた。
持つべきものはなんとやら。
ありがとうね、チー。